(追記に日記ログ)
「嫌」
たいそうきっぱりと言い切る主の言葉に私は一瞬密かな目眩を覚えたが、ここで引き下がっていてはこの気狂いな主の世話など一日たりとも勤まりはしない。よって私は萎え気味な己の気持を奮い立たせた。
「嫌ではありません、ハイダラ様、聞き分けのない」
「いーやー。もうちょっと触っている」
そんな気持もお構いなしに萎えさせるのが我が主だ。
…… まあ、ハイダラ様の本当のお考えに関して、私も私なりに薄々気付いてはいるのだ。しかしたとえそうであったとしても、まだ素性も気性も碌々知れない相手に(たとえレンジィ様の御師匠様であろうとも)、酷く気安く接しておられるのを見ながら捨て置くなど、しもべとしての規範に反する。
「もうちょっとでもありません、ハイダラ様。ご迷惑でございますよ。第一、触っている、とは何というお言葉でございましょうか。誠に申し訳ありません、ロル様」
「いーや! ねえ、ロルはいいだろう? レンとロージャが行ってくれるなら問題ないし、ロルも何か見て回りたいのなら、後から私が一緒に行くもの。夜市だってある」
これは多分、駄目だ。ハイダラ様はこうと決めたら滅多な事では意を翻したりなどなさらない。
つまり、ロル様の羽根を触る事も決定事項であるし、……レンジィ様とロージャ様を市へ送り出した後にお二人で何事か話し合うのも、決定事項だ。私が口を出せるものではない。
傍らで成り行きを見守っていたレンジィ様が小さく吹き出した。一連のやり取りに呆れておられるのだろう。流石にわずかな羞恥が私を襲う。
「……っ、せ、先生、気に入られましたねえ」
「ふむ、私は別に構わんよ。特に買いたいものもなし、黄昏時に羽根をもふもふと触られるのも一興だ。レンジィ、分かっているだろうが、美味いものを買ってこいよ」
「勿論ですよ。じゃあ、ロージャ、行くか。カディム、悪いけど、留守番とお世話、頼むよ」
「レン、私も留守番だよ? それとお世話って何」
「そうだぞ馬鹿弟子、私も抜かしているではないか」
「いやいや、全然深い意味はありませんって」
『ふふ、ハイダラは留守番って感じしないなあ。まあいいや、行ってくるね』
不服そうなご様子の主とロル様を宥めながら、レンジィ様の青い目が私に目配せをくれた。気遣いと笑みの混じったそれを受けて黙礼を返しながら、私はレンジィ様とロージャ様を見送った。
「……さて、ロル。あなたはどう見ている?」
残ったお二人へ茶等のお世話を終え、そろそろ木陰の雑事を……と考えた頃、ハイダラ様が唐突にそう仰った。レンジィ様がたが十分にこの場から離れたと判断したらしい。
突然の話にも、ロル様は深紅の髪を微かに揺らしただけで、さして驚いた様子はなかった。
「……それは、レンジィの事か?」
ハイダラ様が黙って頷く。私は邪魔にならぬよう、少しだけ離れた位置で跪いて控えた。
ロル様はハイダラ様の応えを見て取ると、更にこう言った。
「質問を返すようで悪いが、先にあなたの意見が聞きたい。こちらに来てからの奴に関してはあなたの方が詳しいだろう?」
確かにそうだ。このおかしな島でのあれこれに関して、多くの事柄を、主とレンジィ様は共に過ごしている。ハイダラ様はわずかな思案の後、ゆっくりと口を開いた。
「私は……、私達のような生き物と、レンは違うから、はっきりとした事は分からないが……多分、とても良くない状態だと思う」
「良くない、とは?」
「自分の力を制御出来ないというのは、一番危ない。何より、外からの影響に対処しきれなくなるのが恐い。わけの分からない力に満ちている、このような島では、特に」
ハイダラ様が鬱陶しげに辺りを見回す。木陰の外、我らを常に取り囲む、あのわけの分からぬ力を遠ざけようとするかのように。
「……マナと言ったか、この、臭い力。気を抜くと、すぐに我らを侵食しようとする。使いこなせているうちはいい。役に立つうちもいい。しかし、無闇に使えば……」
「なるほどな、この島の何とも言えない嘘臭さの原因はそれか。ここに働いている『仕組み』とも密接な関係にあるようだ。……無闇に使うと、どうなる?」
問い掛けに、ハイダラ様がぐっと声を潜めた。
「あなたは知っているか、マナで狂うという話を」
マナで狂うという話を、我々は常々耳にしていた。
遺跡の外で何度となく噂を聞いたし、遺跡の中では敵からそのような情報を得たという話さえある。
「直接聞いてはいないがね、そんな事だろうと思ったさ。力には大抵何かしらの反動が伴うものだ。強制的に摂取せざるを得ない状況にあるというのは気に食わんがな。……ここで敵として現れる連中は、皆そうか?」
「この島の敵には、マナに囚われつつもそれほど変わりなく存在するものと、マナで狂いつつあるものとの、2種類がいるように思う。その境が何にあるのか、私には分からないが……」
「個体差があるのかもしれんな。それか、他に条件があるのか」
「多分、私なら『狂う方』に選り分けられるだろうな、というのは分かる。カディムもね。……だから、このマナという力は信用出来ない。界を越えてこの島を覗いただけのものにさえ、このマナの臭いは伝わった。それは私に「気をつけろ」と注意を寄越した。私の養い親だ」
あの御方が注意を促した辺り、どうにも薄ら寒い。
我らのようなものさえ浸食しようとする力。それが、ヒトであり、かつ現在非常に不安定なレンジィ様に対し、どのように作用するのか。想像するだけでも嫌な予感しかない。
「ああ、翼があると言っていたな。その羽で異界との境まで越えられるのか……しかし、別の世界から見てもここが異質だとすると、ますます警戒せねばならない状況にあるようだな」
ロル様は一度、溜息のような息を吐いて、ぐっと背を伸ばした。
おそらくこの地にいらっしゃったのは、単なる様子見などではなく、正しく現状を危惧しての事だろう。
「意見を聞かせてくれてありがとう、ハイダラ。私もあなたと概ね同じ考えだ。私の弟子が非常に厄介な状況にある事は間違いない。私は、自分の力の制御がまともに出来る程度には、奴を鍛えてやったつもりだしな」
「やはり、そうだよね……。心配だ。ああ、レンがあれほど制御を乱すとは、私も驚いた。彼は系統を取り混ぜた面白い術の使い方をするのに、それでいて制御が上手かった。いや、そういう使い方だからこそ上手くないといけないとも言えるが。……あなたの教えが良いのだろう」
ほんの少し口端に笑みを浮かべたロル様は、礼の代わりなのか軽く手を振った。しかしすぐに表情を引き締め、
「それがここ最近になって出来なくなっているのは、奴が別の何かに気を取られているからだろう。――ロージャから聞いたが、この島にある宝玉を使うと『過去を操れる』という噂があるそうだな?」
「……あれか。まあ、確かに。先日いやな噂を、とある敵から面と向かって聞かされたよ」
あの時のレンジィ様の取り乱し様を思い出す。ハイダラ様も一瞬、苦虫をかみつぶしたような顔をなさった。そうだ。あれからレンジィ様はご様子が大きく変わったのだから、忘れるわけがない。
「レンジィはある人間の死をなかった事にしたいと考えている」
「……グラーシャだね」
ロル様が頷く。
「恐らく近いうちに宝玉を取りに行きたいと言い出すだろう。どうやら何か思うところがあって、今まで我慢をしていたらしいが……自制が利かなくなってに術にまで影響が出ている節がある」
しゃらり、と飾り達が揺れる音がした。ハイダラ様が顎を引くようにしてわずかに身動いたのだ。
「そして不安定な精神は隙が多い。レンジィは今まで以上にマナの影響を受けやすくなっているだろう。今後どんな変調を来すか予想がつかん。宝玉を手に入れたりすれば尚更だ」
「……ふむ、不安定な部分に付け込まれた感があるな。それこそが、マナというものの恐ろしさか。マナによって行動や考え方のたがが外れ、それによって、よりマナに影響される方へ行ってしまう。悪循環だ」
「……だが、私はこの島では部外者だ。奴の行動を完全に制御する事は出来ん」
悔しそうなロル様のご無念は察するにあまりある。
この地は恐ろしいほどに自由が利かない。
「だから、もしもレンジィが宝玉を手に入れた場合、私はある事実を奴に話そうと思う」
「ある事実?」
「奴が何故こちらの島に来たのか、あなたは聞いた事があるか? ……私は、そのきっかけとなった存在と密接な関係にある。奴がどうしてここに送られたのかも知っているし、何故奴が過去を変えてはならないのかも知っている」
思いがけない告白に、ハイダラ様の琥珀色の瞳が訝しげに細くなる。しかしひとまず、ロル様の話を口を挟まずに聞くつもりのようで、先を促した。
「それを話せば何とか、説得出来るかもしれない。しかし奴は確実に私を恨むだろう」
迷うような、悩むような、珍しくもそんな気配が紅色の有翼人の周囲にはあった。しかしそれを振り切るように、鮮やかな深紅の瞳が、私の主を見詰める。
「そうなった時は――勿論あなたが良ければだが、レンジィを頼みたい。弟子の面倒も見きれないとは情けないにも程があるが……奴が今一番信用しているのはあなただろうから」
「……頼まれるまでもない。私は、レンが大好きだ。そしてレンの味方だ。……しかし、レンは、あなたの事も信頼しているし、尊敬しているだろう? それでも、私なのか?」
ハイダラ様の言った『私なのか』。
言外に込められた意味を、ロル様は違わずに理解しただろう。
それは、『ある事実とはレンジィ様がそれほどの衝撃を受ける事実なのか』という疑問であり、確認であり、そして危機感であった。
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消えてしまった手紙と日々の覚え書き
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