(追記に日記ログ)
「ハイダラ! お願い、落ち着いて!!」
ロージャ様の叫ぶような声の中、飛び散ったわたくしの血が、絨毯に落ちる前に黒い霧へ変わり四散した。
鋭い爪で深く抉られた頬の傷や裂かれた上着は数秒で何事もなかったように整える。
事実わたくしにしてみればこの程度の事、引っ掻かれたとも感じない。
それよりも真っ青になってハイダラ様を宥めようとするロージャ様に申し訳なく思う。
主がこのように荒れておいでなのをご覧にいれるのは初めてだったから、最初など本当にお気の毒であった。……ここだけの話であるが、お倒れになってしまわれるのではないかと案じたほどだ。
わたくしは、こんな戯れごとはよくある事で、主も本気で攻撃の手を上げているわけではないと諄々お伝えしたが、口で何と言ったところで実際目の前で派手な立ち回りがあるのだから、慣れないお方にはご心配もおかけしようというものだ。
「ハイダラ様!」
「シャァァアアア!!」
呼び止めようとしたわたくしをもう一度爪先で撫でたハイダラ様は、一声、威嚇のように鳴いてから、木陰の梢に跳ね上がった。
しゃらしゃらと鳴る飾りの音が追いつく間もなく、そのまま枝を蹴り、葉擦れの音とともに森の中に飛び込んで行ってしまわれた。
最近は二日に一度はこの有様である。
レンジィ様がお姿をくらましてからの主といえば、一言でいえば大荒れだ。
ロージャ様には決して手を上げないところが唯一理性といえば理性だろうか。
ロル様の翼にも全く興味をなくした。……というよりロル様への興味をなくした。
現在ロル様は遺跡の外に待機しておられるが、たとえ彼女が着いてきていたとしても、ハイダラ様はまるで彼女が居もしないように振る舞われたであろう事は想像に難くない。
日常は口数がどんどん減り、戦闘中も鳴いたり吼えたりするような声を発し始めた。
暇さえあればあたりの気配を探り、空気の匂いをかぎ、何か気になるものを見つけると何も言わず飛んで駆けて行く。
眠る事も忘れ始めている。
元来ハイダラ様は種の特質として眠りの少ない質だったが、この島では理に縛られ、体力や魔力の回復のための睡眠を必要としている。
……であるのに、明らかに睡眠時間が減っている。夜半に彷徨う御姿は正しく夜行性の獣を彷彿とさせる。
それでも、我らのもとを離れず、毎日の戦闘を(まるで八つ当たりのように)こなし、探索の歩みを止めないのは、己までが島の理から完全に離れては、レンジィ様を連れ戻すのが益々難しくなる……と分かっているからなのだろうか。
そう思えば、ハイダラ様は十分に理性的なのかもしれない。
優先順位の低い事へまで注意を払うのが、ただただ厭わしいだけで。
ハイダラ様が駆けて行った方を眺めながら、わたくしは深く溜め息をついた。
「お騒がせをして面目次第もございません。ロージャ様、お茶をおいれ致しましょうか」
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消えてしまった手紙と日々の覚え書き
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